あるお客様に、土地の分合筆の履歴をご説明していた時、
土地台帳の見方について質問を受けました。

今は土地家屋調査士しか取得できない資料ですので、
マニアックすぎる話題かもしれませんが、しばしお付き合いを・・・(^^;

ご存知の通り、明治初期に地租改正事業が実施されました。

これは、「租・庸・調」の時代から延々と続いてきた米による納税をやめて、
土地の所有権を与える代わりに地価の3%(のち2.5%)を
現金納付させることとしたスーパーウルトラ税制改正。

所有権を与えるのですから、測量し、境界を決め、
面積と所有者を記録すると同時に地図を作りました。

これが土地台帳と公図ですね。

その後、昭和35~40年くらいの期間に、
土地台帳は登記簿と一体化し、「表題部」に姿を変えました。

つまり、昭和30年代以前の土地の分合筆は、登記簿には載っていません。
だから私たちは、境界鑑定の資料として必ず土地台帳をチェックするんです。

前振りが長くなりました。一緒に見ていきましょう。

(image)
これが旧土地台帳。時代を感じますね。

(image)
少し拡大してみます。

この土地は、字:北所、地番:408番1。

右上の囲みから、
 反別反:  1.314 ←1反3畝14歩(面積)
 地価円:124.060 ←124円6銭(いわゆる課税標準)
 地租円:  3.102 ←3円10銭2厘(税額。地価の2.5%)
でスタート。

中央の囲みから、
 昭和36年12月20日に409-1を合筆して1反7畝17歩に、
 昭和36年12月20日に408-2を分筆して1反27歩に、
 昭和38年1月10日に408-3を分筆して、4畝7歩になったことが読み取れます。

なお、「歩(ぶ)」は坪と同じ、「畝(せ)」は30歩、「反」は10畝です。
歩→畝は30進数というのが面倒くさいんですよね。(^^;

したがって、この土地は、
1反3畝14歩(=404歩≒1335㎡)だったのが、
分合筆を繰り返して、4畝7歩(=127歩≒419㎡)になったとさ。

おしまい。(^^;

土地家屋調査士 大阪 和田清人(image)
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