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2-1 「高城城址」へ登る
ヒメサユリを堪能し、「・・・の小径」をゆっくり歩いてゆくと、中間地点のベンチに到着します。
ベンチからは、麓の街々を眼下に見下ろすことが出来ます。
そして、遠くには、守門岳を始めとする越後の雄大な山々が見通せます。
しばし、ここで休んで行くとしましょう。
(中間ベンチから「守門岳方面」を望む)
(中間ベンチに「高城地蔵尊」が鎮座する)
中間ベンチを過ぎ、軽い足取りで「高城城址」へ向かいます。
(高城城址へ向かっての~びり歩く)
10:25 「高城城址」に到着
城址は、広い公園のような場所です。
沢山のハイカーが、ベンチに座り、思い思いに憩いのひと時を過ごしています。
コロナが無ければ、もっと大きな笑い声が飛び交っているのだろうに・・・。(image)
(高城城址にて)
10:35 「袴腰山」へ向けて登山開始
さて、ベンチでゆっくり休んだら、「袴腰山」へ出発です。
高城城址のすぐ下に、「高城空堀跡」があります。
左右を見渡すと、確かに城の堀のようなものが下に向かって続いているのが分かります。敵が攻めて来た時に、上から石や矢でも打って防いだのでしょうか。
2-2 ところで「袴腰」山って何?
ところで、、「袴腰(はかまこし)山」って変わった名前だと思いませんか?
(八木ケ鼻から見た「袴腰山」)
調べてみたら、全国に同様の名前の山が結構あることが分かります。
●北海道函館市の北端・・・・・ 袴腰岳(1,108.4m)
●北海道北斗市・・・・・・・・・・・ 袴腰山(616m)
(※道内には「袴腰」の名のつく山が計5座ある・・とか。)
●富山県南砺市・・・・・・・・・・・ 袴腰山(1,163m)
●滋賀県大津市・・・・・・・・・・・ 袴腰山(391m)
●徳島県鳴門市・・・・・・・・・・・ 袴腰山(264.8m)
その他に、全国に「袴腰」の名がつく山がどんどん見つかって来ました。
最初は、「何と珍しい名前」だろう・・・(image) 、と調べ始めたけど、もうやめました。(image)
新潟県民の私にとって珍しくても、全国的には「普通のお名前」だと分かって来たのでした。
(右側の山が北海道の「袴腰岳」)
(富山県南砺市の「袴腰山」)
でも、どうして「袴腰(はかまこし)」という、名前が山につけられたのでしょうか?
下の、
「茶道」の出入口の形 と 「男袴(おとこばかま)」の形を見比べると その理由が何となく分かります。
(左側が、袴腰(はかまごし)。茶道の出入口で、上部に台形が見えるでしょう?)
(男袴の形。右端の後ろ姿と、上記茶道の出入口が似ていませんか?)
「茶道の袴腰」や「男袴の後ろ姿」は、昔の武士・町人等にとって、見慣れた姿だったのかも知れません。
そうした、普段見慣れた日常の姿が、山の形にリンクしたとしても不思議では有りません。
2-3 「袴腰山」の山頂へ
今日は、ヒメサユリの観光がメインなので、高城城址から下った人が多いようです。
でも、天気も良く、登山には最適な日です。
このまま袴腰山へ向かうことにしましょう。
10:45 「心臓破り」の山道
所々に岩場が見えてきます。
でも、少し頑張れば、岩場の上は普通の山道になるので大丈夫です。
(「心臓破り」の岩場)
10:50 憩いの松
「憩いの松」とは、ホッとする名前です。
でも、この登山道に名前をつけられた方は、登山者の気持ちをよくご存じです。
「この辺りで少し休んで行けば・・・?」
というオモテナシの心が見えてきます。
(憩いの松)
11:05 とどめの坂
「休んだ後は最後の一発!」 (image)
という感じですね。
(とどめの坂)
11:10 藤景悟りの石
「藤景」とは、戦国時代、高城の5代目城主「長尾藤景(上杉謙信の家来)」でしたね。
川中島合戦の時、(同じ謙信の家来だった本庄繁長(村上城主)によって)謀殺された人です。
藤景は、その昔、袴腰山に登り、この石の上に腰かけたのでしょうか?
そして、おのが人生の何を思ったのでしょうか。
(藤景悟りの石)
さあ、ここまで来れば、山頂はわずかですよ。
(山頂手前の山道)
11:20 袴腰山 着
さあ、山頂に到着です。ゆっくり腰かけて、お昼を頂くことにしましょうか。
(「コロナ太り」が気になる腰回りデス)(image)
今日は、日本三百名山の一つ「粟ヶ岳」が良く見えます。
お昼ご飯の後で、フルーツでも頂きながら、ゆっくりして行きましょうか。
袴腰山山頂から見た、「粟ヶ岳」
完