昨年の12月22日に『認知の母』を、ゴールドエイジ・ラピーヌ中津川に入居させていただきました。
今までは毎日デイサービスでお世話になりました。
四日市阿倉川のゴールドエイジ・ラウレ・アの館長はじめ、ヘルパーの皆さんにもお世話になりました。
もし母が認知以外の重病があれば、四日市の日永東のゴールドエイジ・エクセレントでお世話になったと思います。
ここの看護師常駐の『ナースケアホーム』でないと病気の高齢者のお世話はできませんね。
と言うことで
一語で『高齢者住宅』と言っても、『いくつもの種類』がないと介護や認知や病気をかかえた高齢者のお世話はできません。そして高齢者の1年間は私達の3年分と言われますが、それだけ体調が変化するんですね。
ですからその高齢者の症状に合わせた介護が必要となります。
一語で病院と言っても、内科や外科や小児科や産婦人科があるのと同じですね。
高齢者住宅も同じです。
ゴールドエイジには今『8つのタイプ』があるのをご存知でしょうか…
(1)アクティブケアホーム(要介護度1.8平均)(2)デイ付きケアホーム(2.3)(3)デイ型ケアホーム(2.3)(4)ナースケアホーム(4.2)(5)ドクターケアホーム(3.5)(6)グループケアホーム(認知)(7)多機能型ケアホーム(2.3)そして近いうちに
(8)海外滞在型ケアホームが実現いたします。
この8つの種類を入居者とそのご家族でどれがいいかを選んでいただけるのが、私の経営する介護事業の一番の特色だとご理解いただければ幸いです。
しかし日本中を探してもこれだけの種類のある『サ高住』(介護サービス付高齢者住宅)を運営している会社はありませんね。
今年も直営で2・3ヶ所、設計建設・経営指導で3ヶ所程オープンの予定ですが、『サ高住が日本を救う』と大きな声で私は言っていますので、ご期待にそえるよう、また入居して良かったと言っていただけるようにしっかりと運営したいと考えています。
さて私の母ですが、働きっぱなしの一生でした。
男の兄弟が3人いて、3人を大学(私立)まで行かせることはサラリーマンの家庭では大変なことなんですね。
だから母はいつもどこかで働いていました。
そして母が46歳の時に父が49歳で他界して、私が25歳、弟が19歳と14歳でしたから、それからの母の人生はドン底ですよね。
まあ私が24歳の時にはすでに一人で独立していて、私はなかなかしっかり働いて稼いでいましたから、母を経済的にもささえてやっと家族が生き残ってきました。
しかし一生苦労した母親でした。
そしてやっと生活も安定して楽になった頃、『認知』で一時間前の事も忘れてしまっていますね。
かわいそうと言うか残念と言うか、認知症と言うのはそう言う悲しい病気です。
そのうちに子供の顔も忘れてしまうんでしょうね。
そしてその終末期をゴールドエイジの社員さん達がお世話してくれるんですね。
母も『戦前終中』生まれです。今の高齢者は母だけでなく、皆さん全員がご苦労されていますね。
ですから辛抱強く頑固でお金も使わない。
そして子供や孫のことばかり大切に考えている人達です。
私達はそれを良く理解して、ゴールドエイジでのお世話をしなければならないんですね。
私の母にも、そして全ての入居者様にもお役に立てる『ゴールドエイジ』でありたいと思います。
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