独立記念日♪♪独立して4年目に突入!!なんとか、3年間生きてきた。2008年にこの高齢者住宅の業界に入ったきっかけはホテル(宿泊業)、観光(旅行業)、外食(飲食業)、不動産、人材と幅広く経験し、私は両親が歳を取っての子供。上には20歳離れた姉がいる。姉の息子と私は同い年。子供の頃から親の老後はどうするんだ!!と言われ育ってきた。その言葉が頭から離れず、考えた・・・そうだ・・・親の老後はどうするのか?同居作戦も3度も失敗した。その時は、老後の住まいとすると、一般的に特養、お金があれば介護付き有料でも、特養は住まいではなく、施設。介護状態になり、もうどうする事も出来なくなれば選択肢かもしれない。でも、嫌だなぁ~と考えていた。では、介護付き有料か?そもそも、実家の近くには存在しない。近隣でも入居一時金等も高額で、毎月も結構かかる。そうぼっーと考えていた時、高齢者専用賃貸住宅が誕生した。ん?高齢者の専用賃貸住宅?「これだ!!」と思い、調べまくり、当時勤めていた会社の社長へ提案。これからは「施設では無い高齢者の住まいとしての賃貸住宅まさに!!高専賃」これをやりましょうと企画書を作り、会議でプレゼン。結果・・・社長曰く、「子供は好きだけど、高齢者は嫌いだからやらない」と一言。退職を決意。それが、2008年偶然、高専賃専業で建設をしている建設会社の建設営業の求人があった。よし!!ここで、ノウハウを吸収してやる。必ずこの会社へ入社するぞ!!そして、履歴書、職務経歴書を1冊の小冊子にして郵送。見事に、面接、そして、採用となった。不動産のキャリアは誰にも負けない自信があった。アパート建設営業もやったことがある。1ヶ月の研修期間は茨城で住み込み(単身赴任)で毎日毎日頭から煙を吐き出しながら、貪欲に勉強した。そして、建設営業2ケ月、ある問題点に気づく、ただ建てるだけではダメだ。コンサルティングが必要不可欠。そして、社長に直訴、コンサルティング事業部を作りたいと1ヶ月粘り、初代コンサルティング事業部長へ会社としても全く未知の領域、その頃は会社で介護もやっていない。教わる上司も先輩も不在、頼りになるのは、自分ひとり。ありとあらゆる書籍を買いあさり、読み漁り、勉強した。でも・・・肝心な事は何処にも書いていない。介護人財も前職ではやっていたので、介護職員からみた現場は分る。でも介護経営は・・・そこで、地元の先輩で介護会社の社長がいたので、質問攻めに!!そして、色んな事を経験しました。でも・・・勤めていた会社の社長と意見が合わなくなり、独立を決意。4月に登記を済ませたが、実際に事務所を立ち上げたのが、3年前の今日!!独立した想いは、高齢者住宅は住まいである。施設の代替でも何でもない、そこで暮らす方々に安心と居住性を提供し、喜んでもらう事。介護状態ではなくても入居できる。そして、最期まで暮らし続ける「終の棲家」としての最期の住まい。でも、この考えが浸透するまでに時間がだいぶかかった。正直、間違えているのかなぁ~高齢者住宅は介護で利益を上げろこれだけ、儲かる。と言えば、どれだけ楽か・・・心が折れそうに事もあった。どんなに苦しくても、時代に無視されても同じ思いの方々は必ずいるはず。信念で突き進みようやくここまで来た。独立当時からの想い。高齢者住宅は住まいであり、施設の代替ではない。選ばれ、喜ばれる「最期の住まい」高齢者住宅の常識を覆し、新しい風を吹かせる。やっぱり、こっちで暮らしたい。そう思ってもらえるシニア不動産としての住まいの創造。これからも進化し、自分を信じ、支えてくれる仲間を信じ、いつの日かスタンダードにしてみせる。戦いを挑み続けます。これからもご指導ご鞭撻の程、宜しくお願い申し上げます。高齢者住宅経営研究所Hwc-Innovation株式会社代表取締役 大久保悦次
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