土曜日、京都土地家屋調査士会さんの研修会に参加させていただきました。
5月17日に、「
表題部所有者不明土地の登記及び管理の適正化に関する法律」が
成立したことを受けての研修会。
上の概要中の②、「字持地」がなぜ発生したかということを、
京都公共嘱託登記司法書士協会の李光雄副理事長に解説いただきました。
私たち土地家屋調査士は、共有者の一人を探し出せば足りる場合が多いけど、
司法書士は全員探し出さないと所有権移転できませんもんね。
この分野のノウハウは、はるかに先を走っていらっしゃいます。
タイトルの「大字中」は、「おおあざ・ぢゅう」と読み、
大字、つまり地域集落の総有というような意味。
他にも「字○○中」というのもあるようです。
江戸時代までは、集落で山林を所有していました。
いわゆる「入会地」ですね。
人々は、集落が定めたルールに従って山に入り、
薪や山菜や燃料などを採取していました。
逆に言うと、入会地がなければ生きていけなかったわけです。
明治6年、地租改正に際して、山林等について官有か民有かを区別する
「官民有区分」が実施されました。
この時、集落の所有権が認められなかった入会地の多くが、官有地に編入されました。
所有を認められた入会地は、土地台帳上の所有者「大字中」と記載されたようです。
その後、明治22年に「市制・町村制」が施行され、
小規模集落を合併して「村」が創設されました。(明治の大合併)
たとえば、現京田辺市の中では、田辺村、薪村、興戸村、河原村の4村が合併して
田辺村になりました。
この時、薪村の入会地は、興戸村と共有になるのか?って話になりますよね。
そのため、「旧財産区」として薪村の所有を認める手続きもできました。
ところが、旧財産区を設立しても、いずれは市町村に吸収されて、
入会地を利用できなくなるのではないかと考える集落もありました。
そこで、土地台帳上の所有者を「大字中」から集落の全世帯主の連名に
更正したケースもあるみたい。
表題部所有者として数十名の氏名のみや「○○外50名」と記載された共有地は、
こういう経緯で生まれたようです。
いずれにせよ、表題部所有者「大字中」は、次の3パターンが想定されます。
①財産区の所有
②市町村に帰属
③地元の入会集団の所有(総有)
これらを調べるのには、市史等土地の変遷だけでなく、地域古老へのインタビューや
古文書の確認も必要ですね。
土地家屋調査士も、この制度の中で「所有者等探索委員」として期待されています。
日々勉強です。
土地家屋調査士 大阪 和田清人(image)