「
度会県」が復活するようです。
ネット限定ですが・・・
「度会」は「わたらい」と読みます。
津市の一部、松阪市、尾鷲市などを管轄していましたが、
明治9年に合併して現在の三重県に。
ここで起こった「伊勢暴動」などが引き金となって、
地租改正による税率が3%から2.5%に引き下げられたんですよね。
8/20に度会県の公式HPが公開され、
県民登録した人には「電子県民証」が交付されるんだって。
面白い取り組みですね。
【ネット上に「度会県」復活 明治初期、三重県の前身 SNSで魅力発信 三重】
三重県は15日、明治初期の県南部に5年間ほど置かれた「度会県」を、インターネット上に復活させると発表した。架空の度会県民を募集し、インターネットの会員制交流サイトなどで県南部の情報発信に取り組んでもらう。廃校舎の有効活用や空き家の再生といった“現実世界”での活動も呼び掛ける予定。20日に度会県の公式ホームページ(HP)を公開する。
県によると、度会県は明治4年に廃藩置県で誕生。津市の一部や松阪市、尾鷲市など現在の17市町を管内としていた。明治9年に北勢や伊賀地域で構成する安濃津県と合併し、現在の三重県となった。
度会県復活の目的は、移住や定住などとは異なる形で地域の人らと関わる「関係人口」の増加。関係人口の増加を目指す総務省の補助事業として採用されたため、約700万円の予算は全額が国費で賄われる。
県南部の振興策を検討していた県職員が「度会県」という名称に着目したことがきっかけ。「度会県という聞き慣れない名称を使えば、県外の人にも興味を持ってもらえるのでは」と考えたという。
度会県民として登録した人に「電子県民証」を交付し、県南部の観光地などを紹介するメールを定期的に配信する。度会県民にはフェイスブックなどを使って県南部の魅力発信に協力してもらう。
度会県民が地域の課題解決に協力する「度会県民参加型プロジェクト」も企画。第一弾として、8月25、26日に尾鷲市立九鬼小でフィールドワークを開き、廃校舎を活用するアイデアを出し合う。
ミカンの栽培や伝統行事の手伝いなどに参加してもらうことも検討している。10月13日には、度会県民同士が交流を深める「度会県民の集い」を県の首都圏営業拠点「三重テラス」(東京)で開く。
県は年度内にも500人を度会県民として登録することを目標に掲げる。度会県の復活を企画した県南部地域活性化推進課の担当者は「多くの人が県南部と関わりを持てば地域が元気になるはず」と話している。
度会県の公式HP(https://wataraiken.com/)から登録する。同時にフェイスブックに公式ページを設ける。問い合わせは同課=電話059(224)2192=へ。
(8月16日 伊勢新聞)
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180816-00001015-isenp-l24土地家屋調査士 大阪 和田清人(image)