土曜日、全国青年土地家屋調査士大会in神奈川に参加してきました。
プログラムの一つが、「神奈川縣下外國人遊歩規定測量」。
林先生も驚く初耳学でしょ?(^^;
ご存じの通り、江戸末期に日米和親条約と日米修好通商条約が締結されました。
幕府は、外国人の自由な往来を規制したかったため、
外国人の通行可能範囲を「港から10里(39.2km)以内」としました。
これを「外國人遊歩規程」といいます。
横浜の場合は、外国人居留地を中心に、東は多摩川、西は酒匂川東岸まで。
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横浜周辺外国人遊歩区域図ただ、当時の制限距離10里の位置は、精密な測量によるものではなかったため、
外国公使などからの要望もあって明治9年から測量が実施されました。
これが「神奈川縣下外國人遊歩規程測量」です。
現在の横浜~小田原間に、測点60点、補助点8点の三角網が構成されました。
→参照:
明治初期の神奈川県における外国人遊歩規程測量結局、明治27年に外国人の内地通行が自由になって、この規定は廃止されます。
この測量成果も、埋没しちゃったわけですね・・・_| ̄|○
で、神奈川会の有志の方々が、まだ発見されていないこれらの測点をお探しになりました。
発見済みの既知点に、当時の三角網図を重ねて座標化。
現地でポイントを出して、その付近を丹念に探っていくと・・・
コツンという音が!(^^;
見事、2点も発見なさいました。
明治初期といえども、当時の測量は精密だったことを改めて感じさせられますね。
神奈川会の皆さん、お疲れ様でした。
ちなみに、神戸の場合は、東は守口市佐太~箕面~池田~中山寺を結ぶライン。
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兵庫港遊歩規定図こっちは実測はしていないようですが、遊歩規定の標識などは現存するんでしょうか?
興味津々ですね。(^^;
土地家屋調査士 大阪 和田清人(image)