潜在意識の中に定着している五欲をはじめ、人間ならば、欲望はつねに起こるものである。
ただ、欲にまかせて、行動すれば犬猫と一緒だ。
我々、よく「人としてどうなのか」ということが問われる。
これを倫理とか道徳とか呼び、「人」としての「人」の考え方である。
例えば、我々が業界で推進しているCPMと言う資格がある。
私自身が、現在のIREM-JAPANの創業の手伝いを行い、2002年に会長を務めさせていただいている。
ここでは、この倫理と言うものを1番重要視した教育として厳しいルールを決めている。
私も最初は、この倫理教育を受けたときに「日本にはなかなか定着できるものではない」と考えていたが、実はこの倫理を守ることによって、むしろ経済活動は円滑に行われることのほうが多い。
そういう意味では、不動産投資とか、金融もそうだが、人のお金を扱うには、やはり倫理と言うものは大事だ。
しかしながら残念なことに、当社を退職したもので当社の在職期間に会社を作って営業活動を行っていて、おまけに当社との約束を反故にして、全く当社と同じビジネスモデルで営業行っている者がいる。
またCPMやCCIMのライセンスの取得について、当社の社内においては「受験する資格と受験する基準」を設けていが、それをクリアできないものでも、社内規定で上司の稟議で受けさせたにもかかわらず、当社を退職し、当初の約束を守ることをしないものまでいたりする。
さらに、当社で懲戒解雇になったものが、最近、CPMの称号を使って出版物を出していたりする。
これらの行為は、人としてどうなのか、本人たちには理解ができないのだろう。
当社を解雇になったり、退職したりした途端に人間性が表面化するわけだが、まだまだ教育が足りないと反省をしたりしているが、やめた後までは教育ができない。
人と言うのは人生において、将来にどのような影響与えるかということを考えて行動するべきなのに、ちょっとした小銭や、ちょっとした自分の利益を優先して動いてしまうというのは、残念な行動であり、人として残念な人であると言わざるを得ない。
せっかく培った人脈や、仕事も、ちょっとした行為で全部の信頼を失うと言う事はよくあることで、それに気づかないというのが、やはり倫理観というものなのだろう。
人と言うのは「貧すれば、鈍す」とよく言われるが、この貧すると言うのは、当然、金銭的な貧するということもあるが、精神的な貧すると言うこともある。
そこを充分考えていかないと、ちょっとした小銭や、ちょっとした考え方で人生の全部が縮小すると言うことを知らなければならない。
欲望のエネルギーを理性でうまく舵取りし、自分の身の丈にあったことをすれば、人から信頼を得られるものである。
では。
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